量子科学の教育・研究活動の紹介

1.量子科学とは

 私たちの身の回り物質は全て原子からできており、その原子は原子核と電子から構成されています。原子核は陽子と中性子から、陽子と中性子はクォークと呼ばれる粒子から構成されています。電子のように電荷を持つ粒子の間に働く電磁力は、それら粒子の間で交換される光子によって担われています。クォーク、電子、光子のように、それ以上はもう分解できない(と現時点では考えられている)粒子のことを素粒子と言います。これらの微小な粒子は、古典力学(ニュートン力学)では説明できない不思議な性質を持っており、私たちが素朴に抱いているイメージの粒子と区別して、量子と呼ばれます。量子の振る舞いを記述する力学を量子力学と言います。
 量子力学は20世紀前半に誕生して以来、微視的な物理現象を記述するための理論として発展を続け、物理学における重要な基礎理論となりました。さらに、自然を理解するための基礎理論の枠をこえて様々な分野で応用され、量子情報科学などの最先端の科学技術の基礎にもなっています。量子力学によって記述される量子の不思議な振る舞いの原理をより深く理解し、それを利用して量子を操り・役立てることを目指す学問分野のことを広く量子科学と呼び、そこで用いられる技術のことを量子技術と呼んだりします。量子科学は現在のそして将来の科学技術に無くてはならない分野と言えます。

 近年の量子技術開発の進展は著しく、特に量子重ね合わせの状態を用いた計算によって従来の古典計算機の能力を大幅に上回る量子コンピュータ(量子計算機)の研究開発が日本も含め世界的に急速に進んでいます。数学の大きな桁数の素因数分解問題は現在普及している計算機(古典計算機といいます)では現実的な時間内では実行できません。しかしながら、量子計算機において実行が可能な量子計算アルゴリズムを用いると効率的に計算できることが理論上わかっています。素因数分解問題は情報セキュリティの要素技術である公開鍵暗号の安全性の根拠になっており、量子計算機の実現は我々の情報通信社会を大きく変えてしまう破壊的なイノベーションとなるでしょう。また、量子暗号はこれまでの暗号技術と異なる性質を持ち、情報理論的安全性を実現する技術として注目されています。このように、量子科学が従来の科学技術を一変させる可能性があります。実際に、GoogleやIBMなどは量子計算機の実機を開発し、古典計算より優れた計算性能を示すこと(量子超越)を試みている状況です。このような状況の中で、今後社会において量子科学の知見を用いた技術革新が起きることが予測されています。そして量子科学の基礎と量子力学の概念を深く理解している人(これらを最近では「量子ネイティブ」と呼んだりもします)はこれからの社会において重要な人材となると予想されます。本コースではそのような量子科学の基礎や量子力学の概念を深く理解した人材育成を教育・研究活動を通して行っていきます。

 上記で述べた量子の不思議な性質の主なものとして「粒子と波動の二重性」、「状態の重ね合わせ」、「量子もつれ」があります。

「粒子と波動の二重性」

 量子は粒子と波動の両方の性質を同時に持つことが知られています。例えば、電子は量子として振舞います。電子の位置を測定すると粒子のように点として観測されますが、古典的な粒子と異なり、観測される位置は確率的にしか予測できません。これは、高校の物理で習う光のヤングの実験を思い出すとよいかもしれません。光は波として振舞い波の干渉縞が見えます。

 ここで、光ではなく電子をスリットに投げ入れることを考えてみると1つの電子について電子の場所を観測すると粒子のように点として観測されますが、何度も電子の場所を測定していきその観測点を重ねてみると光と同じように干渉縞が見えてきます。このように電子は一見、粒子的に見えるけれども出現場所(出現確率)は波の干渉効果から観測位置として決まってきます。
 電子などの量子が粒子性と波動性を合わせ持つことを示す代表的な実験に二重スリット実験があります。電子が当たった位置を記録できるスクリーンを用意し、その手前に細長いスリットが二本開いた壁を置き、そこに電子のビームを当てたとしましょう。電子が手前側に置いたスリットを通過して奥のスルリーンに当たるとその位置が記録されます。もし電子が古典的な粒子であったとすると、スクリーンにはスリットの形に似た二つの縞が現れるはずです。しかし実際には、量子に特有の現象として、二つのスリットからきた確率の波が干渉し合い、スクリーンには何本もの縞模様(干渉縞)が現れます。
 このように量子では、出現場所の確率分布が波の性質を持っており、回折や干渉といった現象を示します。

「状態の重ね合わせ」

 量子がどのぐらいの確率でどの状態にいるのかと言った様子は確率の分布として表され、一般には様々な状態をまたいで波のように広がっています。(そして実際に波の性質を持ちます。)測定するまでは、いずれの状態になっているのか確定していません。日常的な常識からは両立し得ない状態のどちらとも言えない状況(状態の重ね合わせ)のまま存在することができます。少々ややこしいですが、様々な状態の重ね合わせとなっているその在り方こそが「量子の状態」(量子状態)であるとも言えます。

「量子もつれ」

 状態を確定するための測定を行うと、重ね合わされている状態の中のいずれかの状態が実際に観測されます。二つの量子で構成された複合系を全体としてある特殊な状態にしておくと、ある場所で量子の一つを測定して状態を確定すると、そこから離れた場所にある別の量子についても瞬時に対応した状態に確定します。このように複合系を構成している複数の量子が互いにもつれ合っているかのように強く関係し合っている様子を「量子もつれ」と呼びます。

 「粒子と波動の二重性」は金属・半導体・絶縁体の本質的な違いや特に半導体の特性を理解する上で欠かせない知見であり、古くから電子工学の分野で活用されてきました。これに加え「状態の重ね合わせ」や「量子もつれ」に対する理解や検証も進み、これらの量子の振る舞いを活用できる場が広がりつつあります。特に近年発展が著しい分野との関連を以下に示します。

  • 量子計算:従来のビットの代わりに量子ビットを用いて重ね合わせのまま情報を扱い計算するしくみ
  • 量子暗号:盗聴者による通信の傍受(観測)により重ね合わせの様子が変化することを利用して盗聴を防ぐしくみ
  • 量子テレポーテーション:量子もつれを利用して一方の量子の状態を他方の量子の状態に転写するしくみ

 

2. 量子科学の新たな展開

 量子科学の新たな展開として、量子の状態が持つトポロジカル(位相幾何学的)な特性の科学技術への応用が注目されています。物質の主な性質は物質内部の電子の状態により支配されており、量子力学を応用したバンド理論により良く記述されます。バンド理論の誕生により半導体エレクトロニクスは驚くべき発展を遂げました。一方、電子などの量子の状態はヒルベルト空間と呼ばれる抽象的な空間の点として捉えることができます。このことにより、量子の状態に対して数学におけるトポロジー(位相幾何学)の考え方を導入することができるようになります。物質の性質を量子状態のトポロジーの観点から見直すと、新たな物質観が浮かび上ってきます。例えば、この観点から、トポロジカル絶縁体と呼ばれる物質の存在が理論的に予言されました。この物質には、表面にだけ電流を流す状態が存在します。このような状況はガラス玉の表面に金属を蒸着させても実現できますが、トポロジカル絶縁体が独特なのは、2つに割ると新しくできた表面に新たに電流を流す状態が現れる点です。現在では、トポロジカル絶縁体として様々な物質が発見されており、トポロジカル絶縁体以外にもトポロジカル半金属やトポロジカル超伝導体などの新物質が発見されています。このような新たな物質群はトポロジカル物質と呼ばれ、その概念は結晶中の電子系の枠をこえてフォトニック結晶中のフォトン(光子)系やフォノニック結晶中のフォノン(音子)系などにも応用されています。また、既存のエレクトロニクスやフォトニクス、さらには量子情報処理との融合により、革新的な科学技術の開拓につながるものと期待されています。

3. 本コースでの量子科学の教育

 本コースでは、学部・大学院において主に下記の科目をつうじて量子科学について学ぶことができます。

【学部科目】
量子情報科学Ⅰ・Ⅱ、量子力学Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ、物性物理学Ⅰ・Ⅱ、物理化学概論Ⅰ・Ⅱ
【修士科目】
量子多体論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ、凝縮系物理学Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ
【博士科目】
量子輸送論Ⅰ・Ⅱ、超伝導物理学特論Ⅰ・Ⅱ

 

4. 本コースでの量子科学の研究

 本コースには、理論物理学(キーワード:物性理論、超伝導、量子輸送、量子情報科学、量子シミュレーション)を専門とする教員が3名、実験物理学(キーワード:高温物性、無機材料、物理化学)を専門とする教員が1名おり、合わせて4名の教員が量子科学分野の研究をしています。

 本コースにおいて具体的に取り組んでいる内容として、多数の量子(たとえば量子スピン)集まった系おける複雑な量子もつれを持つ量子多体状態の解明を解析的な計算および数値シミュレーションを用いて行っています。それらの解明は、量子もつれの度合いやそれに関係する量子情報の空間的な伝搬がどうなるか、どのような量子多体状態がどれくらい外部のノイズに対して量子情報の貯蔵庫として堅牢であるか等、量子科学の基本的な問題に対して深い理解を与えます。

教職員紹介:http://mathsci.math.akita-u.ac.jp/staff/